豪鬼メモ

一瞬千撃

コンパスから見るAmazon経済圏とSuunto Clipper

Amazon等のネット通販ポータルでは、全く同じ製品が別ブランドで出品され、互いに桁違いの値段をつけられていることがよくある。コンパスのような原価が安いジャンルだと、それが非常に顕著に観測できて、とても面白い。


上述の製品は全く同じものだが、安い方の52円と高い方の86216円で1658倍の値付けになっている。安い方の52円で送料無料ってことは、原価は数円なんじゃないだろうか。この二つは極端にしても、「リストコンパス」とか「コンパス 防水」とかでAmazonを検索すると、同じ製品が300円とか500円とかでたくさん出品されていることがわかる。私は2個で600円のものを実際に購入してしまったのだが、後で52円の方の存在に気づいて後悔した。間違って86216円のを買う奴はまず居ないとは思うが、ごくたまにはいるから、そういった高額出品にも動機が生じるのだろう。見知らぬというか、中国語っぽい綴りや簡単な英語を組み合わせたブランド名の場合は、転売である確率が高い。そのブランド名で検索して、雑多な商品を出品していたなら、それは転売企業だと判断できる。


「こんな転売行為は許せない」「ぼったくりだ」なんて憤る人もいるだろうが、安く仕入れて高く売るというのは商売の基本だ。供給価格と需要価格の差が商機になるのであり、それで生計を立てる商人がいるからこそ資本主義社会は成立する。コンサートやスポーツイベントのチケットの転売も、スーパーやコンビニでの小売も、同じ商行為であり、貴賎はない。売場を持たぬ転売とて、流通や在庫のコストやリスクを引き受けている。特定の分野で転売ヤーが跋扈するのは元々の供給価格が低すぎるからだ。転売が嫌ならダッチオークション的に高額で売り始めてから徐々に価格を下げていけばいいのだ。米やガソリンなどの生活必需品には一定の価格統制が必要かもしれないが、エンタメのチケット価格なんて市場経済に任せて全く問題ないと私は思う。それじゃあ庶民はジャニーズのコンサートや巨人阪神戦が見られないじゃないかと言われるだろうが、別にそれらを見なくても、同じくらい素敵なパフォーマンスを提供する団体は他にもある。自分の推しは自分で発掘して、それを鑑賞すればよい。既に有名になった財を購入するために必要な高額な金は、それが有名になるまでに人々が行った価値判断や宣伝活動に対価を払っていると考えるべきだ。それに対価を払いたくないなら、無名かつ高品質な財を自分で努力して探すべきなのだ。

素人に毛の生えたような転売ヤーだけじゃく、有名な企業もOEMの名の下に転売をしている。たとえばVixenのコンパスの多くはYCMの製品のOEMだ。車もバイクも菓子パンも歯磨き粉も家屋も、世の中はOEMに溢れているわけで、なんら珍しい話ではない。だから、Amazonのレビューで「さすがVixenだけあって品質はしっかりしている」とかいうのを見ると、複雑な気分になる。私も含めて、人間は先入観や偏見に左右されやすい。巷に出てくる情報も、それを取得して意思決定するための判断能力も、甚だ不完全だ。よって、人間は完全な合理的経済人にはなり得ず、完全な市場も存在し得ないと、Amazonを徘徊するだけで理解してしまう。

ちなみに最初に述べた52〜86216円の製品は、私の価値観では、正直100円くらいの価値しかない。52円で買ったならお得と感じるだろうけど、200円だと損した気分になるだろう。そもそも微妙に精度が低い。いちおう磁北の付近を指すのだが、おそらく摩擦が大きいからか、完全な磁北を指す前に途中で止まってしまうことが多い。飾りにするとか散歩に使う程度ならいいけど、登山やオリエンテーリングにはとてもじゃないが使えない。それに、ベゼルに方角の目盛りが刻まれていていかにも回せそうな雰囲気を出しているが、実際には固定されていて回せない。「ベゼルが回せます」って商品説明には書いてないから優良誤認とは言えないだろうけど、ユーザの信を裏切るものであることは間違いない。

加えて面白いのは、多種多様なコンパス製品が市場にあるように見えて、核となる指標部の部品は数えるほどのメーカーしか作っていないということだ。YCMもその一つで、こんな感じの部品を作っている。


上記を見てから、Amazonでコンパスを検索すると、かなりの割合がYCMだということがわかる。日本のブランドでも、中国のブランドでもだ。そしてYCMは日本の会社だが、生産拠点は海外なので、日本製とは言い難い。だからダメってわけでは全くないが、日本製だの中国製だのの表記を見て品質を判断するのは浅はかであろうとは言える。とはいえ、ネットショップでは製品を実際に触って品質を確かめることはできないので、せいぜいレビューを読み漁ったり、画像や説明文を精査して部品供給元を推定するくらいしかできない。YCMの中でもピンキリなので、会社を見て決めることもできない。

自分なりに調査して購入する製品を決めたら、それを適正価格で買う努力もすべきだ。少なくとも、「おすすめ順」を見ながら最初に気に入ったものを買うのでは不十分だ。「安い順」に切り替えたり、別の検索語を入れたりして、同じ商品がもっと安く手に入らないかを検討すべきだ。例えば、「リストコンパス」で検索して出てきたこの商品、デザイン的にちょっと格好いいので、買おうかと思ったとしよう。検索語を入れて検索すると、おすすめ順になることに留意だ。

コンパスのような原価の安いジャンルでは、もっと安い出品がある可能性が高い。安い順に切り替えると、これが出てくる。19円+送料599円て、送料の方が圧倒的に高い。

というか、19円で売り出しているのに売れ残っているということは、そういうことなのだ。そもそもの原価も非常に安いだろうし、おそらく粗悪な商品なのだろうとも推測する。ここまで来ると、値段がどうであろうと、この商品を購買する時点で負けている気がする。もう一度おすすめ順で検索して、高い方の出品を見てみると、いくつかレビューがついている。それを読むと、やはり酷評されていた。レビューとて信用できない可能性もあるが、筋道立てた酷評であればそれは信用に値する。コンパス一つ買うのにこんなに時間をかけるのは馬鹿馬鹿しくなってくるが、ダメな商品を買ってしまった時の心理的ダメージが嫌なので、探すこと自体がコストだとはわかっていても、ついついやってしまうのだ。

さて、Amazon上でのバーチャル社会科見学はここまでにして、自分のコンパスを買おう。YCMのオイルコンパスをRecマウント用に改造して自転車に取り付けていたのだが、そのコンパスの内部に気泡が出現したからだ。オイルコンパスは充填したオイルをダンパーとして機能させることで針の動きを安定させるものだが、完璧な密閉ができていないと、どうしても気泡が侵入してしまう。自転車に取り付けて振動を与え続けると、それを助長するのだろう。普通のマップ用コンパスの想定する用途ではないので仕方がないといえば仕方がない。この気泡は日に日に大きくなっていくので、そのうち針の動きを妨げることになるだろう。そうなる前に買い替えねば。

詳細は別の記事にするが、腕時計のように左右にベルトを固定するスリットがついているものや、腕時計のバンドに後付けすべく裏にベルト通しがついているものは、輪ゴムをつかうと簡単にRecマウントに装着できる。したがって、腕時計のように手首に装着することを想定したリストコンパスと呼ばれる形のものを探す。また、振動で気泡が発生することのないように、完全防水のオイルコンパスが望ましい。その条件に合う製品群を探すには「ダイバーコンパス」「防水コンパス」といった検索語が有効だ。以下の条件を満たすものを候補として探したい。

  • オイル式
  • 防水
  • 縦横は2cmから4cm。厚さは1cm以下
  • 黒を基調として目立たない感じの見た目
  • 漢字の東西南北ではなくてNSEWの略字か記号の表記
  • 2000円以下
  • 蓄光

検索結果からそれっぽいもの抽出して、ひたすらメモする。ブレインストーミングと同じで、吟味はしないで、とりあえず形式化するのが大事だ。つまり、客観的に認識できる状態にする。そして一覧して俯瞰的な視座を得る。








文字盤が動く方式は針だけ動かす方式よりも精度が低いが、見やすいのは美点だ。というか、リストコンパスだと文字盤が動くものしか見つからなかった。文字盤を動かす場合、そこそこのトルクが必要なので、小さいものよりは大きいものの方が精度がマシだと予想する。件の52円の製品使っているYCMのCH24-4が精度不足であることを踏まえると、それより大きいものが望ましい。52円の製品はベゼルの外径が2.5cmだったので、それより大きい、3cmとか3.5cmとかのものが良さげだ。あるいは、針だけが動く方式を選ぶかだ。

2000円以下という条件だと、あんまりいいのがないのが正直なところだ。でも原価がめちゃくちゃ低いだろうことを学んだ後では、2000円も出す気にはなれなかった。だから、むしろ安い方に振り切って、上から3番目の175円のやつでいいんじゃないだろうかとも思う。175円で送料無料ってのは安過ぎてダメダメな予感しかしないが、授業料175円なら失敗しても傷は浅い。しかし、175円のは52円のやつと同じYCMのコンポーネントのデザイン違いなので、精度は同程度しか期待できない。上から2番目の1055円の奴と一番下の1759円の奴が比較的まともそうな雰囲気を出しているが、ちょっと高いし、白基調のデザインが気に食わぬ。

精度の点では、SuuntoのClipperが良いっぽい。Suuntoフィンランドのメーカーで、ハイエンドの製品は定評があるっぽいが、ローエンドであるClipperもアウトドア好きにそこそこ使われているっぽい。文字盤回転方式の精度を決めるのは摩擦の少なさだ。つまり本体を回した時の文字盤の回転が円滑であるものが望ましい。下記の1番目の動画の中でPolarisSuuntoの比較が一瞬見られるが、Suuntoの方が若干反応が良い。また、2番目の動画を見ると、Suuntoは微妙な動きにも追従してしっかり磁北を指していることが見て撮れる。Suunto Clipperは52円のやつと違って、ちゃんとベゼルが回転する。黒基調でシンプルな見た目も良いし、蓄光(夜光)塗料なので夜でも利便性が高い。レビューを見るとベゼルが外れやすいというものがあって気になりはするが、それは実際に使ってみないとわからない。
www.youtube.com
www.youtube.com
www.youtube.com

てことで、SuuntoのClipperを買うことにした。買うものを決めたら最安で買えるところを探す。Amazon楽天もYahooショッピングもメルカリもヤフオクSuuntoの直販も見たところ、2460円の定価以下で売っている場所はない。よって、Amazonで2640円を出すのは現状における最適行動だと結論する。2640円もするのは予算外だが、それが最善ならば甘受しよう。52円と2640円の2588円の違いは、ほんのちょっと精度が良いことと、ベゼルがちゃんと動いてオリエンテーリングコンパスとして使えることと、蓄光により夜でも使えることだ。それにそんな金を出すのかと自問した上で、まあいいかとなるならポチって良しだ。

ポチってから数日後、Clipperが届いた。まず、精度を確かめたい。51円のYCMの部品よりも精度が高いであろうという期待に応えているかは、以下の写真を見ればわかる。針式のコンパスの精度は理想的だと看做して、それとの乖離を見る。コンパスを回転させてから静止するまで放置するという試行を5回ずつ行い、その停止状態が最悪であるものを記録した。周囲に磁性体がないことは確認している。


Clipperの精度は最悪でも誤差3度以内、期待値として誤差2度未満な一方、YCMの精度は最悪で誤差10度くらい、期待値として誤差8度くらいな気がする。というかこの個体は常に東にずれていて、摩擦の問題だけでなく工作精度の甘さが窺える。自転車につけて大体の方角を知る分には両者とも許容範囲ではあるが、精度に体感できる差があることも確かめられた。私の使い方では、5度とか10度とかの誤差なんて気持ちだけの問題なんだけど、より上質なものを弁別できるようになってしまうと、もう戻れない。ベゼルの回転を使ったオリエンテーリングコンパスのような使い方はサイクリングではあんまりしないのだが、取り外して腕時計等につけて山歩きなどで使う際には便利であろう。というか、回らないベゼルがついているという詐欺的状況から来る心理的負荷がないのが嬉しい。YCMの名誉のために付記しておくと、ベゼルが回らないのはインサートコンパスの部品を作っているYCMのせいではない。また、原価が激安のインサートコンパスに高い精度を求めるのも酷だ。YCMのマップコンパスはちゃんと精度が出る(針回転方式なので当然だが)。

Clipperを自転車に装着してみると、動きの落ち着きというか、しっとり感がよくわかる。YCMだと走行中は微小な振動を拾って文字盤が回転してしまうので、停止するか徐行するかしないと方角が確認できなかった。一方、Suuntoはきちんとオイルのダンパー機構が働いて、舗装路の微小な振動程度ならば文字盤がぶれず、きちんと方角を差し示してくれる。車体が方向転換すれば、それに速やかに追従してコンパスの文字盤も転回する。これは気持ちがいい。YCMの動きのガタ付きを見た後だと、なんて上品な動きなのかと惚れ惚れする。路地裏を走行しながら自分の向いている方角をさっと知りたい時にいちいち止まらなくていいという、自転車マウントコンパスの理想を実現してくれている。ベゼルが外れやすいというのはおそらくその通りで、触ってみるとプラスチックの弾性だけでベゼルが支えられている感じがする。ベゼルを回す際には弱い力で慎重に操作するべきだろう。

蓄光塗料も申し分なく働いて、夜だけじゃなく日陰やトンネルなどでの視認性も向上してくれる。特に日が短い秋冬のサイクリングでは役立つ。コンパスを見て道を選ぶのに慣れてしまうと、日が暮れてからコンパス見えなくなって突然それが出来なくなるとかなりのストレスになる。蓄光ならその心配が少ない。ただし、所詮は蓄光なので、最後に外部光を浴びてから5分もすると輝度が下がってきてしまう。よって、街灯も何もない山の中でずっと使えるようなものじゃない。たまに街灯の光を浴びながら夜の街を走っている時に、街灯がない場所でも視認できるという程度だ。実用的にはそれで問題ないとは思う。どうしても光らせたい時は、自転車やスマホのライトを20秒くらい浴びせるという手もある。

渡り鳥や伝書鳩や回遊魚がなぜ標識もない世界で正確に旅行できるかといえば、地磁気を感知しているからだそうな。もちろん太陽の方角もその一助にはなっているのだろうが、地磁気の方向は昼夜で変化しないという利点がある。残念ながら人類には地磁気を感知する能力がないらしいが、コンパスがあれば話は別だ。実際、コンパスをつけるようになってから全く迷わなくなった。というか、方角を頼りに進むので、知らない道に入るのが当然になり、迷うという概念が当てはまらなくなる。空を飛べぬ人間は、時に迂回することがあるというだけだ。特にClipperを買ってからは、精度がかなり信頼できるようになったので、基本的に方角を頼りに道を選ぶようになった。そうすると、毎日がオリエンテーリングみたいで楽しい。

まとめ。コンパスを買うべく、そこそこの時間と手間をかけて市場調査をした。合理的経済人ならば一度限りの安い買い物の市場調査には時間を使うべきではないが、勉強のためと思ってやった。ネットだととにかく転売やOEMが多いので、まずはそれを見抜くことが大事だろう。それから、製品説明なりレビューなりを批判的に読んで、実際の製品の品質を予測すべきだ。それでも失敗する可能性はあるから、失敗してもいいものしかネットでは買わない方がいい。一方で、ちゃんと調査した上での許容できる失敗なら、「失敗は成功のもと」と言っていいだろう。今回は安物を買った失敗を1回した上で、SuuntoのClipperに着地した。買う前は単なるコンパスに2640円も出すなんてと思っていたが、安物とは一味違うので、買って良かった。