豪鬼メモ

一瞬千撃

レーシックで開眼

1ヶ月ほど前にレーシックの手術を受けて、視力が両眼1.5に回復した。視力0.2なのに裸眼で過ごしていた身からすると、視力1.5の世界は全く異なって見える。手術のおかげで日常空間の鮮やかさと臨場感に開眼したとも言えよう。


私は小学生の頃は視力は両眼とも2.0だったのだが、中学生の頃から徐々に近視になり、また大人になってからは乱視も加わって、視力が0.2ほどにまで低下していた。それでも、日常生活に支障があるわけでもなかったので、基本的には裸眼で過ごしていた。仕事で近くを見続ける分には近視でも全く問題ない。運転免許の試験の時も、目を細めたり視点を微妙にずらしながら観測したりする工夫で裸眼で乗り切っていた。しかし、乱視はどうにもならない。星どころか月すら二つに見えるのだ。英字の「i」や「l」が二重に見えて、1個なのか2個なのか判然とせず、コードレビューでスペルミスを指摘されることが頻繁にあった。さらに、疲れ目になりやすく、夜中になるとKindleも読んでいられないほど視界が霞むこともあった。

ということで、視力回復手術を受けることにした。最初はICL(眼内コンタクトレンズ)を受けるつもりであった。レーシックは角膜をレーザーで削るのでやり直しが難しいが、ICLだと挿入したレンズを取り外せば元に戻せるし、近視や乱視が進んだ場合でもレンズを変えることで最適化できるという利点があるそうな。ICLが総額70万円くらい、レーシックが総額30万円くらいということを考えても、ICLの利点は考慮に値する。しかし、適用検査を受けてみたところ、私は近視が弱すぎて対応するレンズがないとのことだった。医者や視能訓練士の人といろいろ相談したのだが、私は角膜の厚さや乱視傾向やその他の条件を考えてレーシックで十分だという結論に至った。

興味深いのは、施術後の視力をどれだけにしたいか聞かれることだ。当然2.0が良いと答えそうなものだが、今後老眼になることを踏まえると、それが最適とは限らない。年齢を重ねると顔に皺ができるように、誰でも確実に老眼になり、焦点を調節する幅がどんどん狭まることになる。その際に、焦点の調節範囲の中心をどこに持っていきたいかを考えるべきだと。近視の人が老眼になりにくいと言われることもあるが、それは正確な表現ではない。近い焦点域に最適化されていると、日常生活で老眼に気付きにくいというだけだ。そういう人がレーシックやICLを受けて焦点域の中心を遠方に変えると、近くが見えなくなって急に老眼が進んだように感じるらしい。

術前の検査では、眼鏡に様々なレンズを付け替えながら施術後の見え方をどうしたいか相談する。視力検査で最善の結果を出すべく遠方に最適化したレンズをつけると、確かに視力2.0のランドルト環が見えるようになるが、近くが見づらくなってしまう。35cmくらいより近い場所に焦点が合わないのだ。いままで気づかなかったが、私も既に老眼が始まっていたらしい。視力1.5くらいの矯正力に抑えると、20cmくらいまで見えるようになる。20cmまで見えれば寝っ転がってスマホを見る場合でも問題ない。つまるところ、視力2.0いくかもしれないが最短35cmまでしか焦点が合わないのと、視力1.5いくかもしれないが最短20cmまでしか焦点が合わないのと、どちらがいいか選べと聞かれるわけだ。悩んだ末、私は視力1.5の世界を選んだ。仕事をしている間は裸眼で作業していたいし、寝っ転がって読書もしたい。

手術を受けるわけだが、これがなかなか恐ろしい。麻酔した後の目にカプセルのようなものを押し付けられて瞼を閉じられなくされるのだが、眼球は動かせてしまう。レーザー照射中に眼球を動かしてしまうと掘削の精度が下がる恐れがあるため、できるだけ眼球を動かさないことが望ましい。つまり手術の成否は自分にかかっていることになる。ぼんやり眼前に見える緑の光を見ていろと言われるのでその指示に従うだけなのだが、視線を逸らすと精度が下がるかもしれないという事実を踏まえると、なかなかの緊張感がある。とはいえ、照射時間は30秒くらいなので、よっぽどパニックにでもならなければ誰でも成功するだろう。手術の全工程を入れても20分くらいで済む。俎板の鯉になった気分で言われるがままになっているとあっという間に終わる感じだ。

術後は多少目が痛んだ。瞼の中にちっこい虫が入って痛いのが続く感じだ。しかし、まだ角膜の蓋(フラップ)が完全にくっついていない状態で目を擦ってしまうとずれてしまうので、絶対に目に触るなと脅される。目に何かがぶつからないようにサイクロップスみたいな眼鏡を渡されて、術後1週間、外出時はそれを装着するように言われる。また、睡眠中に無意識に目をこするといけないので、眠る前に目をプラスチックの透明カバーで覆ってテープで貼り付けるように言われる。多少面倒臭いが、入院するわけでもなく、その程度の配慮で済むのは嬉しいことだ。初日からいきなり視力が回復しているのがわかるので、それほど苦でもない。

術後1ヶ月ほど経って健診を受けたのがまさに今日だが、視力は両眼1.5で安定したっぽい。事前に説明されていたが、副作用もある。夜間にLEDランプなどの強い光源を見ると、光が滲んで見えるグレアが起こる。とはいえ、生活に支障が出たり嫌悪感を感じたりするほどではなく、無駄にドラマチックな光景だなと思うくらいだ。昼間にグレアを感じることはほぼない。それより、視力の改善のメリットが圧倒的に大きい。乱視が解消されたことで星や月が一つに見える。無限遠に完全にピントを合わせることはできないっぽいが、それでも遠くを見るのに支障はない。術前に比べたら段違いに遠くが見える。それでいて、日常生活上で必要な範囲の至近まできちんとピントを合わせることができ、中間的な距離ももちろん見やすい。世界が立体的に見える。どこにピントを合わせるかで視界がこんなに変わるのかというのを実感できて、街を散歩しているだけでも楽しくなる。解像度だけでなくコントラストも上がったように感じる。ヌケが良いとはこのことだ。結論としては、レーシックをやってよかった。もっと早くやればよかったと思うくらいだ。


視力が回復してから、写真はあんまり撮らなくなった。そもそも私が写真撮影を好きになった理由のひとつは、肉眼で見るよりもカメラで撮った画像の方が繊細に見えて感動したからだ。しかし、今となっては、肉眼で見た方が繊細だ。近視が治って肉眼でもきちんとピントの調整ができ、また乱視が治ってピント面の描写が改善されると、片目で見ただけでも立体感が感じられる。ましてや両眼視した時の立体感は写真とは比べ物にならない。当然の話だ。となると、わざわざ写真に撮るのに時間を使うよりは、実物を眺めるのに時間を使った方がいい。もちろん、思い出を記録するということには別の意味があるし、シャッターを押す瞬間とフレーミングとピント位置を固定することで撮影者の意図を明確化するという芸術的な意味も理解している。だから、時には写真を撮りたくなることがある。ただ、その頻度は確実に下がった。

近くが比較的見づらくなったことで、つまり老眼が顕現したことで、背面液晶だけでなくビューファインダもよく使うようになった。今まではビューファインダなんていらなくねと思っていたし、実際ほとんど使っていなかったのだが、カメラおじさん達がビューファインダなしの機種をdisったりEVFの質にやたらこだわったりする理由を実感してしまった。ただ、ビューファインダを覗くとカメラの位置が顔の前にないといけないので、ハイアングルやローアングルの撮影に苦労する。もちろんハイアングルやローアングルの時は背面液晶を使えばよく、その際は顔の位置から離れているので背面液晶にピントを合わせるのに苦労はない。しかし、ビューファインダがない機種を今後選択するわけにはいかないという制約を背負うことにはなった。ちなみに老眼は誰しも18歳くらいから始まり、少しずつピントの調整幅が狭くなり、日常生活に支障があると気づくのが40代という話らしい。うーむ。私が爺になるころにはピント調節機能付きの人口水晶体が実用化されていると良いのだが。

近頃は、サイクリングにハマっている。普通に自転車でウロウロしているだけで、スペースハリアーみたいに物が立体的に迫ってきて楽しいからだ。今までは、自宅から自転車に乗って行けるところまで行って、帰りは電車で輪行するというパターンだったが、それで行けるところは行き尽くした感があった。そこで、行きも輪行して、現地で最大限自転車で行動して、帰りも輪行するパターンに切り替えた。交通費は多くかかるが、行動範囲が格段に広がった。特に湘南地域や三浦半島がお気に入りである。先日は平塚の湘南平に行ったが、展望台から見られる360度のパノラマはとても気持ちが良い。茅ヶ崎江ノ島、鎌倉などを流しつつ、海岸で酒飲みながら読書してから帰ってくるのとかもまじ最高。引退したら海沿いのどこかで喫茶店でもやりたいな。あと、各地でカレーを食っている。チキンティッカマサラが美味い店があったら教えて欲しい。